内的衝動を抑えてしまう事

子供のように内的衝動をあからさまに表現できること。

実はこれが一番の自然体で、こういう行動がすっとできる時、物事は全て魂の望むところに導かれていくといいます。

 

しかし、幼少期には親の保護下で生きているので、親の言い分に従うことになりそれが普通になってしまっていることが多いのも事実。

 

内的衝動を抑えているって事がその時に自覚できるといいのだろうけど、無意識でそれが行われているうちはほとんど気づけずじまい。

 

気づいていてもそれを行動にするにはまた高い敷居を超えなければいけない。

 

この二つを乗り越えた時、魂の喜ぶ道が開けるのだろう。

 

開け!みち!!

物事の二面性とは

海外の占星術師のレポートを読んでいる中で見つけた一文。

 

« Peace of mind is not the absence of conflict from life, but the ability to cope with it. »

「心の平安とは、人生の中で問題(衝突・葛藤)がなくなることではなく、問題にどう対処出来るかという能力を持つ事」

 

たとえば喫茶店で一息入れて今日起きたことを考えていた時に、うるさい子供を連れたママ軍団に遭遇した。この子供たちを「うるさい」と思うか、「元気があってよろしい」と思うかで物事は良くも悪くも異なる解釈ができる。

 

今という瞬間に生きなさいとはよく言われることです。

 

しかしこういった事柄に遭遇した時に、その瞬間瞬間で物事をどう解釈するか、もっと言えば「肯定的に捉えることができる」のであれば、きっとそのコーヒーもおいしく味わえるものでしょう。つまり幸せな自分を感じることが出来るというものです。

 

そういった幸せを感じながら瞬間瞬間を生きていく事が、魂(人生)の目的のままに生きることに繋がっていくのだとレポートには書かれていました。

 

物事には二つの側面があるとはよく言います。道徳的に良い事悪い事を想像してしまいがちですが、実は自分が心地よくなれる理解をしていいと背中を押してもらった気がします。

 

他と一緒ではない無二の自分であるため、そこに自分の存在価値があるのであれば、この考え方を採用する必要がありますね。

楽しむことで自由と気づきが創造される

今日のお題:

楽しむことで自由と気づきが創造される

"Fun creates freedom and awareness"

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もうこのままですね。

説明不要!

 

楽しむ事というと、つい遊ばなきゃと思いがちです。

じゃ、どこかに出かけようとなった時、行ってみると渋滞にはまったり、どこに行っても混んでいて楽しむどころか、結局イライラするだけみたいなことになりかねません。

 

ならばそのイライラも楽しんでしまいましょう。

なんて言われて「はい、わかりました」と言える人は少ないと思います。

 

そもそも、「楽しむこと」=「どこかに遊びに行く」

という図式が頭の中にあるので、これをまずは変えてみるのがいいでしょう。

 

たとえば、日々の「家事」や「仕事」を鼻歌混じりでやってみる。

こういう事だけでもちょっとは楽しめるかもしれません。

 

本当の意味することは、

なにか「挑戦(問題解決)」するとき、あまり根詰めないほうがいいですよ。目先の問題を楽な気持ちでもう少し離れた視点で見れば、答えはおのずと浮かんでくる。

 

かもね。

 

 

 

過去を手放せないの?

今日のお題:

過去を手放せないの?

"Can`t release the past ?"

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今を生きられず、過去の事ばかり考えてしまい一歩も踏み出せないとき。

そこから離れ今を見つめなさいとはよく言われることです。

 

そういう時は、これまでにやったことのないことをやってみるのが一番です。

 

思考は過去の経験の記憶の中で、論理的に物事を説明しようとします。

過去に思いを馳せるがために、記憶の海で泳いでいるのと同じです。

 

新しい事を始めると、思考は過去の記憶から少し離れ、目の前に起きている事を経験し記憶しようとします。思考は経験を記憶することに忙しくなり、過去に思いを馳せることが無くなっていきます。

 

理屈ではそうでも、なかなか難しい?

その通りだと思います。

難しさを感じる時は背中を押しますのでお知らせください。

 

あらゆる挑戦に必ずポジティブな解決法がある

今日のお題:

あらゆる挑戦に必ずポジティブな解決法がある

"There is always a positive solution to any challenge"

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身の回りに起きる物事に対する「挑戦(問題)」。

これらを解決する方法は、「挑戦(問題)」を意識した瞬間にすでにそこにあります。

 

これは物事には必ず二つの側面があり、どの側面を見ているかで「問題」としている内容が異なり、その解決方法は別の側面見ることにあるのがほとんどです。

 

また、「挑戦(問題)」を意識していないときは、その解決方法もありません。

宇宙視点という大きな遠く離れた視点で見れば物事は常に中立と言われています。

つまり「問題」も存在しなければ、「問題を解決する手法」もありません。

 

ところが、どんどん物事に近づいていき、全体が見えなくなり部分的な側面だけの視界になった時、物事が二極性を帯びてくるように感じるはずです。そうなると視界の中に見たものに対して、自分にとって解決したい何かを見つけてしまいます。この「解決したい気持ち」を「挑戦(問題)」と表現することもあります。

 

「挑戦(問題)」の解決を行うには、今の視点の反対側から見る事が必要です。

 

それか、思いっきり離れてしまいましょう。これもアリだと思います。

 

あなたの富を入れる器はどんなの?

先日、西川隆光さんの話を聞く機会があった。

その中で、

「自分の持っている富を入れる器を絵に描いてください」

というアクティビティーがあった。

 

ぞの場にいる何人かがシェアしてくれましたが、両手で足りるものや、怪しげなツボ、8階建てのビル等々。さすがに私にはビルという発想はありませんでしたが、人それぞれの世界があるものだと感心しました。

 

タネ明かしの場で実は意外な回答を聞かされ驚くとともになるほどと納得し、以後私の富の器のイメージはこの時に教わったものに固まりました。そのうち何か変化があるといいなと思っています。

 

皆様も試しに絵をかいてみてはどうでしょう?

メッセンジャーなどで個別にお知らせ頂ければ、種明かしの内容シェアできます。

 

これは他の方ですが「富の器」とかでググってみると、こういった内容でセミナーを行われている方もいらっしゃるようですね。意外に気付きがあって面白いかもしれませんね。

 

「そこにいるだけでいい」とは?

人生の目的を知る(探す)には、これまでの人生の中で繰り返して起きていることに注目する事から探っていけることが多いと言われます。

 

繰り返しという観点からは、

・「そこからまだ学ぶべきこと」がまだまだあるので繰り返される

・繰り返される事象そのものが人生の目的

どちらの側面も考えられる。

 

よく遭遇する事として。

 

自分自身はこれといって何する(何をした)わけでもなく、ただその場に出くわして事の成り行きを見届けただけにもかかわらず。そこに居てくれたことで心強かった言ってもらえることが多々あります。

こういうことは考えてみれば、ずーっと幼少のころから(おそらく小学校中学年あたりから)事あるごとに起きている。

 

今週はセミナー仲間がセドナという地に集まり、ここでいくつかのアクティビティーがあります。基本的には自力でホテルにたどり着く事が第一なのですが、道中小さなグループができたり、グループ同士が結合・分裂しながらすごろくの如くコマを進めていく。予め添乗員役のような総隊長を設けていないので、不安がある人は頼れる人からはぐれまいとある意味必死である。

 

初日(DAY0)は移動だけで終わってしまうのですが、何人かの人たちが見知らぬ空港で乗り継ぎ便に間に合うか否かの状況に直面した。こういう時は緊急的に総隊長があらわれ、最大限あらかじめ決められて旅程を守るべく行動がとられていく。基本風格(おそらくその発するオーラ)で自動的に決まる暗黙の了解があるのだとおもう。そして皆の気持ち(ある意味祈り)もあってか、物事は淡々と進んでいく。

 

結果だけ見れば全て自身で解決できた。

「何とかなった、自分はえらいね」と自分で自分自身でほめてあげて欲しいと素直に思う。

 

 

既知でない事に遭遇し、それに対する不安から他人を頼った生き方をしていると、ある時突如頼っていた他人を見失うこともある。その時に自分を信じてどう行動とるかは結構重要だし、頼れるのは自分だけの状況はその状況が今のあなたに必要だか起きているともいえる。頼るものを見失った時こそがチャンスである。

既知でない事に遭遇しそれに関わることで、自分の枠が広がっていく。これを繰り返していく事も気なのだろう人生の目的なのだろう。

 

道中、自分がこれまで仕事としてどういう事をしてきたかシェアする機会もあった。ここ20年ぐらいは主にエンジニア教育という点で仕事をしてきた感がある。例えば新製品の対応(特に私は保守に関すること)についてのエンジニア教育であったりする。

 

保守、特にトラブルの対応は、基本的に手順をあらかじめ提供できることは限られる。そもそもあらかじめ与えられている手順を行っても解決できないからトラブルといわれている。教育するというその場面では、不安を与えずわかった気持ちしにして帰してあげるあげる。これがポイントだと思っている。

 

「自分にもできる」

こう思わせることに尽きると思っている。

 

いざ事が起きた時に、

この問題の解決に、あなたがアサインされました。

あなたはこの問題に取り組むことであなたには学びがあります。

(おそらく宇宙の意図は、そこにあると思う)

あなたはこの問題の解決に全力を尽くしてください。

「いよいよやばい」とそう思える瞬間までは、あまり手出しをしない方向に行動をしてしまう。なぜなら、全ての答えはあなたが持っているから。

 

他人の価値観ではなく、自分の価値観でもの事が見えるようになった時、すべては学びとして降ってくるものを受け取るという事ができるのだと思います。

 

・目の前にぶら下がっているのは、ひとまず受け取る

・おいしくなかったら「ペッ!」と吐き出せばいい

 

すべてに対してノーアイデアですと言って立ち止まってしまった時、その時こそ自分の出番と思えるこの感覚は果たしてどこから来ているんだろう??

 

理屈でわかんなくてもいいのだろうけど。

理屈で理解できて安心したがっている脳みそがある。。。

 

これからDAY1が始まる。